2005年 09月 08日
台風被害 お見舞い申し上げます
台風14号は移動スピードが遅く、この日に再接近することは事前に予測できた。だから仕事場ではいろいろな対策を前日までに施していた。そして会社のテレビで台風情報を見ていたら、6日午後4時には暴風域に入るというニュースで、会社の従業員を午後2時過ぎに退社させた。私は一応、管理職の身なので定時の午後6時過ぎまで会社に残り、顧客対応などを行っていた。
午後7時前、会社の同僚の車で自宅アパートまで送ってもらった。この時点で、私の家の周りの道は水深20cmくらい冠水しており、歩道と車道の境がわからなくなっていた。車から家の玄関まで20秒の間にびしょ濡れになるほどの激しい雨と、ものすごい勢いの突風に体が流された。
家に帰ってからは通常通り、お風呂に入ったり夕飯を食べたりしていたが、その間停電と復旧を何度も繰り返していた。午後8時過ぎ、テレビが砂嵐になり外の階段の電灯などが消えた。きっと共用のブレーカが漏電で落ちたのだろう。外を見ると、道路の冠水が増水している。満潮時間は夜10時過ぎだったので、それ以降は冠水が引くだろうと予想して、大して気にしなかった。
深夜12時過ぎ、ここから車で20~30分くらいの私の実家からお袋さんが電話してきた。「避難勧告が出たので供用会館へ避難する」と。それから眠れなくて台風情報をいろいろ調べていたが、午前2時過ぎ頃ウトウトしていたみたい。
深夜2時半頃、奥様が起きて窓を開けている。窓の外では地区の消防団らしき人が、「錦川が決壊する恐れが出てきたので、すぐに新岩国駅へ避難してください」と繰り返していた。まさか!?とは思ったが、道路の冠水もまたまた増えていた。周りの家々も避難勧告に気がついて電気がつき始める。家の中では奥様が急いで避難の準備をしていた。懐中電灯・お茶・タオルなどをカバンに詰めている。私も起きて服を着替え、携帯電話や電池式の充電器、レジャーシート・ブランケットなどを持ち、カッパを着込んで避難の準備をした。
外に出ると、膝下10cmくらいまで水が押し寄せていた。大丈夫か?私のレガシィ・・・と思いつつもどうしようもないので、避難場所の駅を目指した。駅についてみると既に70~80人くらいの人が避難していて、ロビーというか待合所というか、改札前のスペースにブルーシートが引かれていてその上にみんな座っていた。私たちは隅っこにレジャーシートを敷き、座った。時計を見ると午前3時過ぎだった。

午前8時過ぎ、やっと市の出張所の人が状況を説明しにやってきた。説明によると「錦川の決壊の恐れは昨晩と変わっておりませんので、出来ればこのまま避難所にいてください」というものだったが、みんなバラバラと家に帰って行き始めていた。私たちも市の説明を聞いた後、午前9時前頃、雨も風も治まってきたので家に帰ることにした。すると、あれだけ冠水していた道路の水が引いており、晴れ間も見えてきた。ここで会社に電話して、状況を聞いたが予想外に落ち着いていたので、私もゆっくり出勤することにした。
家を出て300mくらい行ったあたりから、ひどい状況が目に入ってきた。床上浸水・車水没など・・・ウチは被害がなくて、ほんとウンが良かったんだなぁと。
会社についたあと、市内の被害状況を聞いて、愕然とした。私はこの町に大学時代の4年間を除いてずっと住んでいるけど、こんな被害が出たのは初めてだと思う。錦帯橋の橋脚の一部も流されちゃったんだから。
私自身、災害で避難したことはこれが始めてであり、もうこんな状況はイヤだ。だけど、予想外にこんなことになっちゃうので、日ごろから避難セットは作っておこうと思った1日だった。
最後に災害にあわれた方々、この場を借りて、お見舞いを申し上げます。
今度は岩国直撃だったね。宇和島も今回雨がひどく今まで非難勧告出なかった場所でも避難してました。
まあ車も人も無事でなによりですわ。自分の車がダイビングしてたらショックだろーなー
大変だったんですね。
山口県は台風の通り道なので
台風が来るたびにハラハラドキドキしますね。
hibikiさん、こんにちわ。
まさか錦川が決壊するとは、予想外でした。
市内はまだまだ混乱が続いており、道路も復旧メドがたたず、あちこちで渋滞、どこが通れてどこが通れないのかわからず困ってます。トホホ
でも、classixismさんもおうちのほうも大きな被害にあわれなかったと聞き、ほっとしました。
一度行ったことのある錦帯橋が無残な姿になっているのをテレビでみたときには驚いてしまいました。
わたしは今は川沿いに住んでいるので、余計に心配にもなりました。天災は本当に怖いものですね。いつでも避難できるように、避難セットも用意しておこうと思いました。